人様にとってはどうでも良い話ではありますが…
特別代理人など事務的なことばかりではなく、子供たちが成長したときに「どんなお母さんだったのか」「父母はどんな夫婦だったのか」が分かる程度の記録も残しておきたいと思います。
元気な時は、お互いに「先に死なれると困る。」と話し、私と妻の仲は良かったです。と私は思っています。口に出す機会はなかったのですが、お互いが信頼し、愛し合い、子供と向き合っていました。もうちょっと、「愛してる!!!」と言っておけばよかったと後悔しています。娘が通っていた保育園のママ友からは「夫婦の仲が良いね。」と言われていました。行事も二人で参加していたからでしょうか。
対外的な折衝等は私がこなし、家庭内は妻が主導するといった住み分けが自然と出来ていました。一方で、私も炊事洗濯は嫌いではないので、積極的に洗濯物を畳んでみたり、食事を作り、皿を洗いました。妻に言わせると「半分もやっていない。」とのことでした。子供たちは布おむつの保育園だったので深夜に夫婦二人で洗濯後のおむつを干していたこともありました。当時は夜中に何をしているのやらと思いながらでしたが、今は良い思い出となりました。
妻の病気が発覚した後、2年弱で70数回の外来に行きましたが、1回を除き夫婦で病院へ行きました。膵臓がんが厳しい病気であることから、私が精神的な支えとなり妻が1人で背負わないためにと思っていましたが、途中から主治医との治療方針を決める会話は妻の体調を見ながら私が話していました。妻も全面的に私を信頼してくれていました。闘病期間の最後の方は病院へ行っても歩行が困難となり、私が車いすを押して移動していました。妻からは「車いすを押すスピードが速い!」と怒られました。私が外来に同行しなかったのは1回だけであり、その時はCT検査のみで主治医とも話がなく、妻も自力での往復が可能だったことから仕事を優先させてもらいました。職場には全面的にバックアップしてもらい、私が病院へ同行しやすいように取り計らってもらうことができ、大変に助かりました。職場の方には具体的な部位は話さなかったものの、「がん治療への付き添いのため」と伝えて遅刻、早退、休暇を取らせていただきました。ただただ感謝するのみです。