がん闘病

【概要】妻の膵臓がん闘病生活

最愛の妻の膵臓がん闘病生活は約2年弱でした。

同じ病気で苦しむ方の今後の指針となればと思い、妻の闘病生活の概要をお話しします。手術をすることで生存期間を短くしてしまうこともあります。一方、固形がんは切除が根治への治療法でもあることから妻は根治へのチャレンジとして手術を受けました。

この見極めを後悔なく出来ることをお祈りいたします。

病名発覚~抗がん剤治療

2016年6月急激に発生した耐えかねる腹痛により、検査をしてようやく判った病名は「局所進行性膵臓がん」でした。膵頭部で20mmを越え上腸間膜動脈を180℃以上浸潤していました。当時の診療方針では手術適用外となり、抗がん剤による腫瘍の縮小化を目指し、アブラキサンとジェムザールを同時投与しました。2016年7月から2017年3月までの9か月間で規定量で23回の投与を行い、様々な副作用に苦しめられました。

手術適用~緊急開腹手術

しかし、抗がん剤の効果により、上腸間膜動脈への浸潤が180℃を下回る縮小が認められたため、5月に膵頭十二指腸切除術を受け、膵頭部、胃の下部1/6、十二指腸、胆のう、脾臓を除去しました。手術は成功し、3週間後に術後合併症の仮性動脈瘤破裂による緊急開腹手術を受け止血するとともに、残した膵体部、膵尾部の機能が良くなかったこともあり、結果的に膵臓全摘となりました。膵臓がないことから、膵性糖尿病となり、インシュリン注射による血糖値管理が必要となりました。

術後抗がん剤TS-1治療~無治療

臓器を複数除去したためか、術後の容体が安定せず、退院後3週間ほどで食事がとれなくなり、再入院していました。本来であれば膵頭十二指腸切除手術から2か月後にはTS-1と言う飲み薬の抗がん剤を主治医は始めたかったのですが、前述の通り体調が安定せずにTS-1の投与を始められたのは術後4か月が経ってからでした。TS-1による副作用もあり、体調は好不調の波があり、また、手術の影響か食事量もなかなか増えずに体重の現象が目に見えていました。術後半年強の2017年12月に体力低下により抗がん剤の継続が難しく、無治療とならざるを得なくなりました。

在宅療養~看取り

妻は検査や手術での入院の経験から点滴(長い間注射針を指す)を嫌がっており、無治療となった後も入院はしませんでした。無治療とは言え、主治医は妻に「体調がもどるまで抗がん剤は延期」と話してくれていたので、妻の不安はさほどなかったかと思います。一方で、私の携帯に主治医が連絡をくれて「血液検査の結果から抗がん剤継続は無理。何かあればすぐに病院へ連絡して構わない。」と言う全面支援を約束してくれたこともあり、私が在宅で介護することになりました。ただし、40代で介護保険を使えるものの、利用条件に「末期がん」とかかれており、これを見た妻の目から涙がポロポロと落ちたことは未だに鮮明に覚えています。

2018年1月以降は私が介護休業を取得して24時間一緒にいることができました。徐々に体力が落ちていく妻に主婦業を教えてもらい、平昌オリンピックを見ながら二人で沢山話をしました。唯一悔いが残るのは治る前提での在宅療養だったので、終活的な話題に触れることができなかったことが挙げられます。ささやかな幸せな時間がいつまでも続いてくれればと思いながら日々を過ごしていました。

でも、そんな思いは打ち砕かれ体力の低下とともにせん妄が入り、その後3日間の意識不明、もう一度子供達と話をしてほしいと願っていると、目を覚ましてくれました。その後2日間話ができたことは最後の私自身の満足でした。妻も同様だったのではないでしょうか。意識が戻った際に訪ねてきてくれた妻の親友と私の手を握り何度も「ありがとう」と言ってくれたのは本人も回復が難しことを悟っていたのかもしれません。翌朝、学校に登校する息子との会話を最後に意識が戻らず、その晩に亡くなりました。

5年生存率は一桁%

様々ながんの生存率は部位にもよりますが、高くなる傾向にあります。一方、膵臓がんは圧倒的に生存率が低く、妻も病気発覚当初は「5年後に這ってでも生きてやる。」と言う目標を立てて治療を始めました。しかし、2016年7月の治療開始時には「治療をした人の生存期間の中央値は12か月である。」と主治医から説明されました。妻も5年生存率を上げる一人になれませんでしたが、12か月を越える期間、頑張りました。でも、まだまだ難しい病であることに間違いはありません。将来治療法が確立され、他のがんと同じ様に治る時が来てくれることを願っています。

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