緊急開腹手術から退院した後の話です。
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体調不良で再入院(2017年8月)
退院したものの、消化が上手くいかないのか体重も減り気味、体調は今一つなので、主治医に相談したところ、入院することとなりました。検査しても特段悪いところもなく、先生たちも???
次第に、病院での生活が退屈になる妻は図書室で本を借りて読書で時間を費やしたものの、開腹手術後と異なり、自力で動けることからメールで「暇だ!」とメッセージを送ってきたり、食事の写真を送ってくれました。こっちは仕事してるんだけどね!そんなこんなで8月終わりには体調も落ち着き退院しました。
抗がん剤TS-1による治療再開(2017年9月~11月)
主治医の術前説明では手術2か月後の7月にはTS-1を開始したいと聞いていましたが、始まったのが9月の半ば、4か月が空いていました。これが良くなかったのか、そもそもTS-1が体に合わなかったのか、副作用のむくみが酷くでました。11月にはいったん中止して、再度アブラキサンの投与を計画し、運命の12月13日の診察を迎えました。
治療継続困難=無治療へ(2017年12月)
12月13日に外来があり、妻に同行しました。11月ころから病院の車いすを借りて待合室で待つようになっていました。妻は体調が悪く、俯いたまま目をつむっています。そこへ顔見知りの看護師が来て「先生からお話があります。」と、私のみをそっと病室へと通しました。嫌な予感がしましたが、やはり「これ以上の治療は体への負担となるだけなので、抗がん剤の継続はできない。」との通告を受けました。主治医も話し方に困っていました。妻に残された時間を聞いたところ「早くて1か月」と言われ、そんなにも残り少ないのかと感じました。妻にはこのことを伝えない様にお願いし「体調が戻るまでの休薬とする。」ことをこの後の診察で妻に伝えることとしてもらいました。体調が回復するまで車いす利用や訪問看護等の介護サービスを使うことも提案されました。妻と一緒に話を聞いた後、病院の「地域連携センター室」を訪ねて、介護サービスを受けることの説明を聞きました。その際に40代の介護保険利用は「末期がん」が対象と聞いて、妻が涙をポロリと落としました。私は介護保険サービスの冊子を病院で見ていたので「末期がん」の文字を妻に見せないようにコントロールしていましたが、とうとう妻の目に触れてしまいました。地域連携センター室へは事前に先生から治療方針が伝わっていたのでしょう。担当の看護師からは「体力が戻るまで利用するためであり、末期がんという指定は仕方ないものです。」と暗に末期がんではないような言い方をしていただきました。この話し方は上手だなと思いながら私は聞いていました。
介護は在宅を希望(2017年12月)
介護サービス選択の前提
妻は8月の退院以降、「もう入院したくない。」と常々話していました。そのため、「自宅で生活してどうしても駄目な時には入院する。」と言う前提で介護サービスの導入をすすめることとなりました。介護ベッド、歩行器、トイレの手すり、車いす等々を借りるために急遽役所へ申請に行きました。
誰が自宅で介護する?
さて、体力が低下する妻を自宅に1人で置いておくわけにはいきません。そのため、私は職場で介護休業の申請をしました。規定上期間は最大3か月なので、1月から3月までで申請し、無事に決裁がおりました。このことは妻には伝えずにいたのですが、義母に話していたところ、そこから漏れました…。いずれ話さなければならないため、良かったのですが、妻は収入の心配をしていました。
介護サービスを受ける(2017年12月)
役所に申請してから調査までは事情を察してくれたため、迅速でした。結果が出るのは年明けとのことでしたが、申請の翌週には自宅へ調査員が訪問してくれました。翌年1月半ばには要介護2として認定されました。同時にケアマネジャーの選定も進み、物品のレンタルをしました。当初、妻は「歩行器なんか使わない。」と言っていましたが、その後お世話になりました。重宝したのがトイレの手すりです。徐々に力がなくなっていくため、手すりがあることで自力排泄ができる期間が延びたと思います。手すりと言えば、壁に据え付けに思いましたが、便座両脇に取り付ける形のもので、使用しなくなれば取り外せるのが良かったです。