がん闘病

介護休業から看取りまで(2018年1月~3月)

無治療・介護サービスを受けることとなった後の話です。

私は介護休業を取得したため、年明けから休みとなりました。社会人になって20数年、長期の休みは初めてのため、不思議でした。会社に行く、帰ってくるという一日の軸がないのです。正月休みが終わっても会社へ行かないことに対する違和感がとても大きかったですが、翌日からはすっかり介護従事者として忘れていました。

自宅介護の一日スケジュール

休み中の一日のスケジュールはと言えば

  1. 息子を学校に出す
  2. 朝ごはん食べる
  3. 掃除・洗濯する
  4. 昼ごはんを食べる
  5. 買い物へ行く
  6. おやつを食べる
  7. 夕ごはんを食べる
  8. お風呂へ入る
  9. むくみ対策でオイルマッサージをする
  10. 寝る

食べてばっかりだ。スケジュールには入れませんでしたが、お昼前後に訪問看護で来てくれる看護師さんに処置してもらいつつ、会話しました。

介護が始まってしばらく経ち、平昌オリンピックが始まりました。冬のオリンピックの時期は仕事の繁忙期であることから、過去のオリンピックでは結果をネットやテレビで知る程度でした。しかし、平昌オリンピックは時差がないこと、夫婦二人で自宅に居ることから、ずーっと妻とテレビを見ていました。カーリングを見ていて盛り上がり、やったこともない二人がコースが悪い、投げる強さが悪い等々にわか評論家となっていました。

何処で、何を買い物すればよいのか

私は1、2月と妻がチラシに〇を付ける商品を買いにスーパー周りをしていたので、自然とどこの店で何を買えばよいかが身に付きました。

妻の体力の低下

妻の体力は徐々に落ちていき、室内の移動が歩行器から車いすになり、その車いすへの移動も私の力を借りる様になっていきました。1人で行ったトイレで帰り際に転倒したころから、お風呂も一人では入れなくなったため、私も一緒に入って介助しました。洗い場から湯舟への一跨ぎが足が上がらないためできなくなるのです。でも、お風呂は気持ちよさそうに入っていました。ケアマネからは転倒が危ないから、入浴サービスを使うことを提案されましたが、使おうとした日に意識がなくなったためサービスを使うことはありませんでした。亡くなる1週間前まで介助付きでお風呂に入っていました。

2月に入って外出できたのは、娘の学校の授業参観と2週に一度の外来2回の合計3回でした。そこまで、体力が落ちていたのです。

看取り(2018年3月)

2月下旬に3日ほど意識が戻りませんでした。前日の晩に一緒にカーリングを見て、お休みと言って寝たのですが、翌朝天井に手を伸ばして「取って、取って」と不思議なことを言い出しました。何が欲しいか聞いたところ「分からない」と、これが後になってせん妄であることが分かりました。その後、意識が戻らなくなり、子供達と最後に話してほしかったことから一生懸命に話しかけながら看病しました。すると、3日後の朝、お早うと話しかけると「おはよう」と言葉が帰ってきました。びっくりして家族みんなでベッドを囲むとはっきりと目を開け会話をすることができました。妻は心配そうな娘の顔をナデナデしていました。3日間意識がなかったことを伝えると妻はびっくりしていました。三途の川に行っていたか聞いてみたところ、そうではなくベッドの周りで話す声も聞こえていたし、顔をタオルで吹かれるのが嫌で横に振っていたと説明してくれました。その通りだったので、皆も驚きました。

意識が戻った翌日には妻の高校時代の友人が遠方から訪ねてきてくれて長い時間話をしました。また、その友人は看護師であることから、話をしながらずーっと腕や足をさすってくれたことは妻にとって幸せだったと思います。妻が友人と私の手を握り何度も「ありがとう」と話した風景は忘れられません。その晩は足が痛いというので、私の母と義母がずーっとさすっていました。その手が「暖かい」と妻は話していました。

意識が戻った翌々日朝、学校へ行こうとした息子と話した会話を最後に再び意識がなくなりました。前々日の意識が戻ってからは、水を飲むか飴をなめるかしかできませんでした。点滴をしていなかったため、栄養がたりなかったことと、妻の体力が限界に来ていたのでしょう。呼吸が浅くなり、回数も減っていき、その晩妻は息を引き取りました。最後は家族皆に囲まれていました。

お礼を伝えに主治医を訪問

妻の死後1週間して、私はお礼を伝えに外来診察の終了時間を見計らって主治医を訪ねました。妻の最期の状態を伝えるとそれは「播種性血管内凝固(disseminated intravascular coagulation: DIC)」と言うものでした。確かに、鼠径部から足にかけて内出血状のアザが広がっていました。がんの末期の方が全身状態が悪くなると、陥る症状と伺いました。私は闘病生活を経て、主治医とは戦友の様な感覚でいることを伝え、お礼を言って病院を後にしました。

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