がん闘病

妻を看取って思うこと

妻は全力で闘病し未来を見続けた。夫は全力で支え、闘い終えた。

漠然と将来は妻と二人で余生を過ごすことを40歳を過ぎて思っていましたが、まさかの膵臓がん発覚、その闘病の末、自宅にて看取りました。

妻を見送って思うことは、悲しい気持ち以上にほっとした、安堵したことです。

「妻がこれ以上辛い治療・思いをしないで済む。」

これが一番の感情です。義父母や私の母も安堵したところがありました。妻の体はやせ細る反面、足はむくみでパンパン、水を吸ったスポンジの様でした。見ている側も辛い闘病でもありました。

結局、妻が望んでいなかった点滴は一切しませんでした。これは自宅介護だからできることでした。妻も最後まで諦めることなく、元気になったらやりたいことを考えていました。この先、妻に会えたら

  • 最後まで本当に諦めていなかったか
  • 介護に問題なかったか

聞いてみたいです。一方、私は若くして妻を失ったため喪失感は強いものの、どこかで会える気がしており、「今はしばらく会えないだけ」とも思っています。

結果的に助けることはできなかったけれど闘病から介護まで、ゼロからすい臓がんとその治療の知識を学び、分岐点では妻とも話し合って治療を選択してきたことからも、後悔はありません。

家族を看取るのは最後にしたいところですが、まだ私の母と義父母が健在です。いずれその時期が来るのでしょう。しかし、皆70歳を超えていることから、その時が来ても年齢的な満足感が強いと思います。残された者が後悔しない看取りができる様にしてあげたいとも考えています。

先日、義母には「まだ若いのだから再婚をしては」と言われましたが、妻とは嫌いになって別れた訳ではないので自分の中では再婚はあり得ません。子供達が成人になるまで見届け、落ち着いたら次のステップへと進めるのでしょう。

でも、再婚はないなぁ。今更、親せきが増えるのも大変ですしね。

Secured By miniOrange